【教師の座右の銘】「天は人の上に人をつくらず」——格差を感じる教室で、私たちが本当に教えるべきこと
1. 導入:なぜ今、この格言なのか?
「先生、どうせ僕なんて頑張っても無駄だよ。あいつとは地頭が違うもん」
理科室の隅で、試験管を洗いながらポツリと漏らした生徒の言葉。皆さんも一度は似たようなセリフを聞いたことがあるのではないでしょうか。
成績、スポーツの才能、家庭環境、そして最近では「親ガチャ」という言葉まで。教室という狭い空間は、皮肉にも「人は平等ではない」という現実を突きつける場所になりがちです。教師自身も、優秀な生徒と手のかかる生徒を前にして、無意識に「見えない序列」を心の中に作ってしまうことはないでしょうか。
そんな閉塞感を感じたとき、私はいつも福沢諭吉のあの言葉に立ち返ります。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。」
あまりにも有名すぎて、教科書の中の「綺麗事」だと思われがちなこの言葉。しかし、その後に続く一文にこそ、私たち教師が明日から教壇に立つための「希望の処方箋」が隠されているのです。
2. 格言の意味解説:言葉を分解して読み解く
まずは、この格言の「真意」を正確に理解しましょう。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言えり。」
——福沢諭吉(『学問のすゝめ』初編より)
- ▪︎ 「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由(よ)ってできるものなり」
天が人を平等に生んだはずなのに、現実には貧富の差や身分の差がある。その差は一体どこから生まれるのか? 福沢はズバリ、「学んだか、学ばなかったか」の差であると断言しました。 - ▪︎ 「学ぶ」ことの定義
福沢が説いたのは、単なる暗記ではありません。「実学(じつがく)」、つまり世の中の役に立つ生きた知恵を身につけることです。
理科の視点で言えば、「初期状態(質量や体積)は等しくても、その後のエネルギーの加え方(学び)によって、物質の性質は劇的に変化する」ということです。
3. 教育現場のシチュエーション・あるある:私たちが陥る「選別の罠」
現場では、理想と現実のギャップが私たちを苦しめます。
【あるある】「できる子」と「できない子」の固定観念
例えば、理科の実験。いつも手際よく結果を出すA君と、手順を間違えてばかりのB君。
- 平凡な対応(過去の私の大失敗):
私は昔、無意識に「A君なら任せられる」「B君は危ないから手を出さないで見ていなさい」という対応をしていました。これは、口では平等と言いながら、心の中で生徒の上に生徒をつくっていた証拠です。
B君は「自分はダメなんだ」というレッテルを自分で貼り、学ぶ意欲を完全に失ってしまいました。教師の「決めつけ」が、福沢の言う「賢愚の差」を助長させていたのです。
【あるある】進路指導での「序列化」
偏差値という物差しだけで生徒を測り、「君にはこのレベルは無理だ」と可能性を閉ざしてしまう。これもまた、生徒の下に生徒をつくる行為に他なりません。
4. 実践的な考察・提案:明日からできる「学びの格差」への挑戦
では、この格言をどう実践に活かすべきか。具体的で持続可能な提案をします。
① 「今の状態」と「人間の価値」を切り離す
成績が悪いのは「学んでいない状態」であるだけで、その子の「人間としての価値」が下なわけではない。この理科的な「状態変化」の考え方を、まず教師が徹底することです。
具体策: 授業中、「わからない」と言った生徒を「勇気ある発言だ」と称賛する。「わからない=学ぶチャンスがある=これから上にいける」という空気感を作ります。
② 「実学」の面白さを1分だけ語る
福沢諭吉は「実生活に役立たない学問は無意味だ」と過激なことも言いました。
理科なら、「このイオンの知識が、君たちが毎日使っているスマホのバッテリーに繋がっているんだよ」と、「学ぶことが自分の人生を豊かにする(自由にする)手段である」ことを伝え続けましょう。
③ メリット:教師自身のストレスが減る
「生徒をコントロールしよう(上に立とう)」とするのをやめ、「共に学ぶパートナー」として接すると、不思議とクラスの反抗心が和らぎます。権威ではなく「学ぶ姿勢」で背中を見せることで、生徒との信頼関係が再構築されます。
5. まとめ:あなたは今日、誰の可能性を信じましたか?
私が定年退職する間際、かつて「自分なんて…」と腐っていた生徒が、卒業式でこう言ってくれました。
「先生が『理科の点数は低くても、観察眼は科学者並みだね』と言ってくれたから、自分を諦めずに済みました」
福沢諭吉が伝えたかったのは、冷酷な格差の指摘ではなく、「学びさえすれば、誰だって自分の力で人生を切り拓ける」という究極のエールだったのだと、今は確信しています。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。」
皆さんは今日、教室の片隅で自信を失っている子に、どんな光を当てましたか?
あるいは、自分自身が「教師だから上だ」という傲慢さに囚われてはいませんでしたか?
明日の朝、教室に入る前に、深呼吸して思い出してください。
目の前にいる30人は、全員が無限の可能性を持つ「学ぶ主体」です。
あなたのその眼差し一つが、一人の生徒の「一生の学び」を動かすエネルギーになるかもしれません。
